若くして合格!技術士受験指導

金属/建設部門 samiec さん

部門: 金属部門
専門分野: 金属加工、溶接
筆記回数: 1回
口頭回数: 1回
部門: 建設部門
専門分野: 鋼構造およびコンクリート、貯槽
筆記回数: 1回
口頭回数: 1回
部門: 総合監理部門
専門分野: -
筆記回数: 1回
口頭回数: 1回

(事務局)まず、技術士試験に挑戦しようとした動機・きっかけを教えてください。

(samiec)1985年からオーストラリアのプロジェクトで働いているときに、現地でプロフェッショナルエンジニアという、会社の看板に頼らない独立・中立の技術者がいることを知りました。しかも、メジャーの客先のエンジニアたちから一目置かれた存在でした。その後、日本にも「技術士」というプロフェッショナルな技術者資格があることがわかり、絶対にプロのエンジニアになると決めました。

(事務局)技術士試験に関連性があり、役立ったと思う資格を参考に教えてください。

(samiec)私の場合は、溶接エンジニアのプロですから、当然、溶接技術者の資格(WES 特別級)は役に立ちました。専門知識と、専門技術をとりまくさまざまな問題に対する強い好奇心と問題意識が、技術士試験を受験するときに役に立ちます。

(事務局)技術士試験に挑戦することを決意してから、最初に何から取り掛かりましたか?

(samiec)私が受験した時代は、選択科目のT-1で、自分の経験論文を書く必要がありました。したがって、まず自分のそれまでの業務経歴とそこで起きたさまざまな問題を洗い出し、まず経験論文の作成から取り掛かりました。それだけで半年の準備をしたことを覚えています。

(事務局)受験勉強は一人で実施しましたか?それとも仲間をみつけて協力し合いましたか?

(samiec)1990年当時は、技術士そのものがあまり知られてなく、従って技術士試験もまだマイナーな試験でした。当時私が所属していた会社が、1990年から技術士を奨励資格に制度化したばかりでしたので、受験勉強は一人でしました。

(事務局)勉強時間・場所はどのように確保しましたか?同僚・家族は協力的でしたか?

(samiec)当時は、横浜から東京の会社まで2時間近い通勤をしていましたので、平日の勉強はしませんでした。その時は35歳で、5歳、3歳、1歳の3人の子供がいましたが、毎週、土曜日の昼過ぎまで近くの図書館で自分ひとりの時間をもらいました。土曜日の夕方や日曜日は、家族との時間を大事にしました。

(事務局)書籍・サイト・セミナーなど、勉強に利用した情報源を教えてください。

(samiec)技術士試験の内容や過去問題などは、当時、たぶん1社しかなかった大手の民間教育会社の技術士試験講座から、情報をもらいました。たしか6月頃に、本番を想定した模擬試験を受験しました。金属部門に対して特別に模擬問題を作成してもらったところ、もう一人の受験者がいて、本番の試験でもその人が隣の席でした。2人とも合格し、現在ではともに独立し、よき相談相手となっています。

(事務局)筆記回答や論文の添削指導(有料無料問わず)を受けましたか?また、その効果はどのようなものでしたか?

(samiec)先に述べた大手の民間会社の技術士講座は、金属部門はなかったのですが、特別に模擬試験を準備してもらい、そこで書いた論文を、すでに金属部門の技術士になっていた先生から、添削を受けました。このときのアドバイスがとても役に立ち、自信につながったのを覚えています。ちなみに、その先生とは、いまでも、技術士として仕事のお付き合いをしています。

(事務局)技術士試験は受験申し込みから口頭試験まで長い期間を要しますが、勉強を継続するために努力したことはありますか?

(samiec)私の場合は、勉強の開始から最後の口頭試験が終わるまで、1年半を要しました。何と言っても、体力の維持が最も大切です。早寝早起きを励行し、深酒はしない、家族と散歩やピクニック、キャンプなどを行って、健康な生活に徹しました。私はもともとタバコは吸いませんが、私の周りで、独立して成功している技術士でタバコを吸っている人は、不思議と一人もいません。

(事務局)筆記試験の直前はどのように過ごしましたか?

(samiec)毎日の通勤電車の中で、自分の作成した経験論文に対する想定答案を繰り返し読んで暗記しました。当時は、3時間で4,000字の論文を試験場で書かされましたので、経験論文についてはじっくり考える時間がなかったためです。

(事務局)筆記試験日当日に特別に実施したことがあれば教えてください。

(samiec)当時の試験会場である青山学院は、キャンパス内のベンチが少なかったので、ゆっくりお弁当を食べるために、終了10分前に経験論文を書き上げ、他の受験者より先にベンチを確保しました。この頃は、試験問題の持ち帰りもできませんでしたし、退場制限もありませんでした。女房の作ってくれたお弁当をゆっくり味わう余裕が、午後に控える長丁場の試験に対するパワーになりました。

(事務局)筆記試験終了後、どのような気持ちでしたか?また、どのように過ごしましたか?

(samiec)筆記試験は、まず経験論文はほとんど準備していた答案を修正することなく書きました。その他の選択科目も必須科目も手ごたえはありましたので、次の日に(会社の夏休みでした)いつもの図書館に行って、昨日の問題を思い出し、自分の書いた解答をできるだけ再現しました。今でもそうですが、口頭試験で、時折、筆記試験で自分の書いた論文に対して質問を受けることがあります。自分の解答はできるだけ再現しておくべきだと思います。

(事務局)技術士になって何か変わったことはありましたか?

(samiec)技術士になってもっとも変わったことは、ネットワークが桁違いに広がったことでしょう。若くして独立してコンサルをやっている人、すでに会社を作って頑張っている人、会社の中でもプロを目指して努力している人、同じ世代でも高い志しを持った仲間たちに出会えたことが一番の宝です。技術士の仕事は基本的には一人で行うのですが、こういった人的なネットワークなくしては成り立ちません。

(事務局)今後、技術士としてどのようになりたいですか?

(samiec)自分の専門だけではなく、せめて同じ金属部門の若手の技術士を増やすことが、今の私に課せられた使命だと持っています。昨年から、金属分野の若手の技術者の皆さんが集まり、意見交換や、勉強をしあう仲間作りを始めました。技術士を増やすことは結果ではなく、一つの手段ではありますが、この仲間たちの中から、今年5名の技術士が誕生しました。この会だけではなく、溶接業界のさまざまな集まりの中で、若手エンジニア教育に、今一番力を注いでいます。

(事務局)これから技術士になる方へメッセージをどうぞ

(samiec)若い技術者の皆さんが将来どのような自分になりたいのか、しっかりと将来計画を立ててください。技術士という資格を手にすることは、その自己実現のための一つの手段に過ぎません。しかし、技術士になるとならないのとでは、その後の人生が大きく違ってきます。技術士になっても、その資格を生かせないで終わってしまう人はたくさんいますが、技術士で成功している人で、技術士資格をムダにしている人は一人もいません。あなたの夢の実現のために、ぜひ技術士試験に挑戦してください。


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